こんにちは、HSS型HSPブログを運営するまさしです。
みなさんはHSS型HSPを知っていますか?まだあまり詳しくないよ、という方もいらっしゃると思います。HSS型HSPとは、「刺激を求める外交的な性格でありながら、感受性が高く繊細で傷つきやすい性格を持つ人」のことを言います。
ここ数年でHSP(Highly Sensitive Person)という繊細な人がいる、という認識が高まってきました。しかしHSPの中には、実は「High Sensation Seeking(高い刺激を追求する)」の頭文字であるHSSな性質も持ち合わせる人がいると言われています。
つまり「刺激を求めるのに、繊細で傷つきやすい」という、対立する性質を持つ人がいらっしゃるということです。「いけいけどんどーん!」とアグレッシブに生きてるのに、「でも傷つきやすいんだよなぁ..」というセンシティブな一面を持つ、文字で表すと非常にユニークな人のことですね。アクセルとブレーキを同時に踏んじゃっている人、などと言われることもあります。ほんと、私がこれなので書きながら笑っちゃいます。
またアメリカの心理学者でHSP提唱者であるアーロン博士の研究によると、HSPの約30%がHSS型HSPに該当するそうです。HSPは全人口の約20%とされているため、HSS型HSPはおよそ6%にあたります。この割合を考えると、HSS型HSPはかなりの少数派であることがわかりますよね。
つまり、HSS型HSPな人って数が少ないんです。だからこそ、共感や理解のされにくさがゆえに、生きづらさや疎外感を感じやすい方が多いのではないか、と私は考えます。
私もHSS型HSPの一人なので、長年生きづらさや孤独を感じていました。だからこそ、HSS型HSPである日本中の6%の人、約720万人の方が自分らしく生きられるようになる情報発信をしていきたく、思い切ってブログを設立しました。(こういうところがHSSですよね笑)
まさしのプロフィール
このブログにお越しいただいた方向けに、ざっくり私のプロフィールをご紹介できればと思います。箇条書き部分をさらっと見ていただくだけでも幸いです。
- 名前:まさし
- 年齢:25歳
- 神奈川県在住
- 社交的で挑戦好きだが、根っこは臆病な人
- なのになぜかヒッチハイク歴が100回以上
- スウェーデン人妻と国際結婚して2年目
- webライター歴2年目
- 2024年に務めた会社を7ヶ月で退職した称号持ち
- ハマっているもの:筋トレ(ベンチプレス90㎏)
- 趣味:料理、DIY、インテリア、観葉植物
- 将来の夢:田舎の古民家に住んでリモートで働く
おおよそこんな感じの人間です。もう少し詳しく知りたいよ、という方向けに、時系列の古い順に、私とは何かをお話しさせていただきたいと思います。お時間のある方はぜひお進みください。
時系列でまさしを知る企画
将志 まさし
まさしは漢字で将志と書きます。母から聞いた面白い話があって、なぜだか2歳くらいまで名前が「将志」ではなく、「将士」でした。途中で変更したそうですが、そんなのあるんですね。そのわけを詳しく聞くのは小っ恥ずかしいので、勝手に「将士だと、将軍の将に武士の士で強すぎる人になるから、夢とか親切という意味の温かみのある志に変えよう。強くて温かい人になってほしい」みたいな話し合いがあったのではないかと想像していますが、まさに行動的で繊細なHSS型HSPらしい名前です。という鉄板の自己紹介でした。
私がつくられたルーツ
99年生まれです。ランダムに流行ったものを言えば、ニンテンドーDSやGReeeeNのキセキ、はねるのトびら、小学校の時に女子から回ってきた自分のプロフィールを書くあれ(名前忘れました)とかですかね。
生まれが福岡で、18歳の時に大学進学で上京しました。元々母子家庭で育ち、高校時代に母が再婚。それきっかけで私は通っていた中高一貫校をやめざるを得なくなり、週一登校の通信制高校へ編入しました。母は他県へ引っ越すことになり、私は17歳で一人暮らしになりました。なぜだかHSS型HSPの僕らの人生は、ドラマチックになりがちですよね。
スポーツばかりやってきたのであまり勉強はしていませんでした。何より中高一貫校最大のメリットである高校受験の免除で高校生になれたので、何も考えずに生きちゃってました。そんな無学の私がいきなり親の事情をきっかけに通信制高校へ編入することになったので、「家庭環境悪くて勉強もできないとなると、さすがに人生終わったな..」と絶望して2ヶ月くらい鬱になって家からまともに出られなかった記憶があります。
私は打たれ弱いですが、根っこから挫けないのが私の良いところです。通信制高校の週一のみ登校できるシステムのおかげで、初めて「勉強できるありがたさ」を感じ、「勉強ってこんなに自由で面白いんだ!」と、ざわざわと心が熱くなるのを体で感じたのを今でも覚えています。HSPの高い感受性は、辛いことからも気づきや学びをキャッチできる素敵なギフトなんです。
元々通っていた中高一貫校は九州大学などにも進学できるエリートたちがそれなりにいる学校だったので、「有無を言わさず大学進学のために勉学をすべし!」という校風は、あまり私の肌にあっていなかったみたいです。
でも通信制高校は違いました。10代でお母さんになって赤ちゃんを連れて勉強をしにきている女の子、髪色やピアスがとんでもない男の子など、いろんな事情があって学校に通っている面白い個性を持つ人たちがいっぱいなんです。
「勉強はしてもしなくても自由。でもその代わり、人生は自分次第だ」という環境の方が、なんだかニコッと笑えて、ワクワクしました。元から目的の伴っていない勉強は嫌だったんだと思います。合う合わないの環境がはっきりしているのも、HSS型HSPの特徴ですよね。
そんな通信高校生活で2年弱、登校日以外は頑張ってバイトをして大学受験の費用や生活費を稼ぎながら勉強をして、無事合格。大学へ進学を機に、トランクに炊飯器なんかをぎゅうぎゅうに詰め込んで、友人らに別れを告げて夜行バスで東京へ向かいました。
大学進学後
ヒッチハイクや海外一人旅など、HSS型HSPらしい刺激的な大学生活を過ごしました。この辺は長くなるしみなさん大体似ていると思うので割愛します。
結末からお伝えすると、大学へ入学して2年目の夏、私は大学を本当にやりたいと思うことのために、中途退学しました。「え!こんなにも頑張ってきたじゃない!」「将来が不安になるよ」と自分でも思うのですが、世間体や一般常識で「夢ややりたいことを追い求める自分」を抑えることは難しい。これがHSS型HSPの複雑で大変なところだと思います。
辛い体験をしてまで自分の手で掴んだ大学だからこそ、手放す決断をするのも、私本人です。そういう意味では、責任を負って挑戦するのも、良いと思います。
先ほど一応高校時代の話をざっくりしましたが、やっぱり週5、6日丸一日バイトして、週1日学校に行って大学受験の勉強をする日々や親がいない生活の孤独さは、言い表せないほど大変でした。これらの原体験は、私の価値観を大きく変えました。
辛い渦中ではいろんな人の支えで乗り越えることができたので、次は私が生きづらさを抱える人を自分らしくいられるよう応援したい、また私が教職課程を専攻していたことや私が料理を得意とすることから「子ども食堂」を作ろうと思いたち、大学を辞めて子ども食堂に専念することにしました。
子ども食堂を作った後
子ども食堂は夜営業をされているスナックの空きのお昼時間を間借りして、週に一度運営していました。最初こそ誰も来ない時期がありましたが、SNSやブログ(アメブロ)を駆使し、友人の力なども借りながら現場の運営をしていました。
元々構想では私が喫茶店好きであることからカフェっぽくしようと考えていましたが、実際に来てくれる方は、大人の方から赤子までさまざま。来てる人をよく見ると大学を中退した私を始め、自身も不登校を経験した元教員の友人、世界中を旅する人、ギタリスト、外国の方、ほぼニートな人など、異文化も異文化でカオスな子ども食堂になり、「想像と違うけど、、まあいっか!」というヘンテコな感じでしたが、それはそれで楽しかったです。意外にも子供たちには好評でしたしね。
最終的には地域新聞に掲載されるまで認知の規模が大きくなり、「大変だったけど、よくやったな」と思えるようになりました。それがきっかけで席数が限られている小ぶりなお店にパンパンに人が来るようになってしまい、一人で運営していたのもあって限界になり、撃沈。「もー無理!やってられん!」と完全に疲れ切ってしまいました。
実際に自分のお店を借りる話も目前までありましたが、このままだと体がもたなかったので、崩れるように撤退しました。感受性が高く人が多い環境だと生存しにくい繊細なHSPの気質をこの時はまだ知らなかったので、うまく体調管理ができておらず、かなり大きなショックを受けました。
田舎で心を休める生活へ
仕事ばかりしたツケが回って、当時2年ほどお付き合いをしていた彼女と別れるという残念なことも続きました。自分の居場所だった子ども食堂もなくなり、心の拠り所だった彼女と別れ、かなり落ち込みます。
これを機に、元々海や自然が好きだったことから、保養地などで有名な自然豊かな田舎へ引っ越しました。心を癒すにはもってこいの場所です。あまり金銭的な余裕がなかったので、風呂なしのアパートに住むことに。ドラマが止みません、いつ終わるのでしょうか、、!
6畳の風呂なし仕事なし、彼女とも別れ当時は21歳くらいだったので、かなり参ってました。毎日貯金を見てはため息を吐き、心を鎮めるために散歩をし、海で時間を過ごしました。
なんとかバイトを見つけ、食いつなぐものの、ここから何をしていこうか本気で悩んでいました。子ども食堂中にお悩みを抱える方へコーチングの仕事もしていたので、これを本業にしようかとも考えていましたが、難易度の高さも感じていました。
とはいえまずは心を休ませる必要がありました。なのでバイトが終われば海へ行き夕日を見る。散歩をしてはお茶を飲み、図書館で読書をする。今考えると老後のようなライフスタイルですが、これはこれで楽しかったです。刺激が少なくとも、高い感受性で今に感謝した生活を送れるのは、HSS型HSPの強みだと思います。
妻と出会う
実際、自然豊かな土地に引っ越した後、数ヶ月で心は休まりました。ですが1年経たずして、元々住んでいたエリアに引っ越そうと決意。なぜなら風呂なしアパートは住みづらすぎるからです。頑張ってデリバリーのバイトをして貯めたお金で冬前にお引っ越し。ありがとう海、ありがとう山。また会おう、さらばだ。
引っ越し後、いろんな巡り合わせで現妻と出会いました。私は22歳だったと思います。妻は私より3つ年上です。同じ大学に通っていたので、顔見知りではありましたが、深く話したことはありませんでした。
妻は幸福度の高い国スウェーデンで生まれ育ち、英語話者なので頭の中がグローバルで、とても視野が広い人です。何度か会って、初めて私の生い立ちなどの話をした日、「あなたは大変な人生だったと思うけど、知らないだけで世界にはそういう人が実は多くいるんだよ」とスケールの大きな話をしてくれて、とても救われたのを覚えています。だから大丈夫だよ、という愛情ですね。
妻も母国から出て日本で暮らしている自由でストロングな人なので、相性がとても良かったんです。波長も合ったのでお付き合いをし、去年結婚をしました。(バンザイ!)あの時は6畳間の風呂なし生活だったのに、今は妻と結婚生活を送れるなんて、人生何があるかわかりませんね、、!
フリーランスとして働く
デリバリーのバイトを業務委託にできるということで、正式にフリーランスになりました。
デリバリーワークは好きな時間に仕事ができるので、自由人な私に合っていました。ですがご時世もおさまりつつあり、デリバリーの需要と供給のバランスが悪くなってきた矢先にバイクが故障したので、「もう新しいことに挑戦する時期ってことか」と解釈しました。
そこで思いついたのが、「ライティング」です。元からなぜか書くことだけは誉められてきました。あまり勉強はできませんでしたが、小論文などはよく先生に推薦されていたし、何度か表彰された経験もあります。私自身書くことが得意だったし、気持ちを綴るのが好きなので、「よーし、初めてみるか」くらいのテンションで初めてみたら、あれよあれよと仕事をもらえるようになりました。
もしかしたらHSS型HSPあるあるなのかもしれませんが、「やろうと思ったことが案外すんなりできてしまう」とかってないですかね。高い感受性と行動力のおかげで、改善と実行を瞬時にできるんじゃないかなと思っています。
自分一人で生きていける程度には稼げるようになりましたが、この頃に「結婚をしてもこんなんで大丈夫なのだろうか」と自分を責めるようになりました。当時の私は、「結婚をしたら夫は正社員で安定するべき」とか「妻が働かなくてもいいくらい稼ぐのが夫の役目」などと、誰かの夫婦の価値観、誰かの結婚生活の価値観に縛られていました。
私自身母子家庭で育ち、いわゆる一般的な家族を知らなかったからこそ、世間一般の夫婦像や価値観に縛られていたのかもしれません。そこからの私は、「安定しなきゃダメだ」と思い、会社に応募することに。
会社を7ヶ月で辞めてしまう
ざっくりいえばフリーランスからいきなり正社員は無理だろうと思っていたので、フルタイムでバイトのできるライター職に勤め始めました。「これで妻も少しは安心かな。世間も許してくれるし、赤点ギリギリの夫にはなれただろう」などと、かなりの訳のわからない思考だったと今は思いますが、ぎゅっと視野が狭くなっていると、こういう考えになるのも無理はないのかなと思います。
視野が極めて狭い状態で入社したので、初日から「これ続けるの無理かもしれんな..」と思っていました。なんてったって、満員電車。HSPな人はみなさん満員電車って乗れるんですかね?私はもう一生朝の満員電車には乗りたくないと思うほどにNGな乗り物です。
満員電車に加え、狭い視野のせいでストレスがオーバーヒートし、食中毒なのか体調不良なのかわからない謎の凄まじい腹痛が1週間襲うようになった週に、このままだと続けられないと思い、子ども食堂同様にまた崩れるように退職。「妻や将来の家族のため」と思っていたこともできない自分は完全にダメな人間だと思いすぎて、鬱に近い状態だったと思います。
筋トレが暗闇から私を救う
判断力の低下や自己肯定感の低さ、会社に行かないとと思っても動けないし、かといって這って会社に行っても体調不良や疎外感を感じてしまう。病院に行っていないのでわかりませんが、鬱の初期症状だったかもしれませんし、かなりひどかったかもしれません。
ですが神様は私を見捨てません。退職する前月のまだ元気な時に、黄色いマッチョで有名なゴールドジムに申し込んでいたのです。
今年の春くらいから家トレを習慣にしていてちょうど3ヶ月くらいたった退職する前月に、そろそろジムに通ってもいいかなと思っていました。チョコザップやエニタイムフィットネスなどもありますが、「どうせやるなら一番熱いとこで!」というHSSな私らしい選択で、ゴリマッチョ御用達の「ゴールドジム」に入会。
エントランスからでも見えるビッグなアメリカ人やコーヒー豆みたいに真っ黒に焼けたボディビルダーが所狭しとトレーニングに勤しんでおり、初めはビビってましたが、「俺もやってやるぞ!」と謎に火がつき、入会書に押印。
そこからは現在に至るまで、週3回必ずトレーニングをやっているほどハマっています。仕事、仕事と思って鬱になっていた私が、毎日毎日大好きなトレーニングの勉強や実践ができ、どんどんのめり込んでいきました。
今年の夏はかなり落ち込んでいましたし、回復までに時間がかかるだろうと思っていたのですが、トレーニングに没頭することで、少しずつ心が回復していきました。
同時にオンラインで受けられるセラピストの方とお話をしたり、妻と他愛もない時間を過ごしたりすることも心の回復へとつながりました。
ちなみに、先日ベンチプレス(バーベルを胸の前で上げ下げするトレーニング種目)の重量が85kgを超え、初月に40kgで息切れしていた私とは大きく成長したことを少し自慢させてください!!
今はまだ自分らしい日常を送れるようになってきたばかりですが、本当にやりたいことをやることの重要性や妻への感謝が募る日々です。
まとめ
ご覧いただきありがとうございます。ここまでお読みいただいた方は、本当に心優しいお方だと思いますし、何よりHSS型HSP当事者の話を参考にされたい勉強熱心な方なのだと思います。
HSS型HSPの人口は非常に少ないからこそ、他者から深く共感されないことや、自分で自分を理解しづらいことが悩みで意図しない人生になりやすいのではないかと思います。しかしありきたりに聞こえるかもしれませんが、失敗をすることで気づけることが多くあります。
私もたくさん失敗してきましたし、履歴書はよくわからないくらいガタガタです。今日までに何十社と面接を受けて断られてきましたが、同時に会社勤めだけが唯一の答えではないと気づけるようになりました。バイトでもフリーランスでも、自分らしく生きている1日を過ごせていたらそれで丸、OKなんだと気づけるようになりました。これは紛れもなく失敗したおかげなんです。
私より大変な心境や境遇の方、お子様がいらっしゃる方もいるかもしれませんが、一歩ずつ少しずつ進めていきましょう。HSS型HSPの特性に自然と寄り添った働き方、自分らしい生き方を一緒に模索していきましょう。心から応援しています。
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